ノートと花

読書の大切さに気づいたアラサーブロガーの日常

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どうも、アラサーブロガーのきゃわです。半年程前くらいから読書をするようにしています。

元々本を読むのは好きだったのですが、自分から機会を作らないとなかなか読むことはなかったんですよね。

なんというか、もっと自分の知識を広げたいという思いから半年前から月に3、4冊くらいのペースで本を読んでいます。

そんな私がこれから読書の大切さについて考察していこうと思います。

読書は他の人の考えに触れられるチャンスです

普段からいくら他人とコミュニケーションを取っていても、その人が本当に考えていることまで知れることは少ないはずです。

それに比べて本はその人の考えがぎっしり詰まっているので、自分以外の考えに直接触れられるチャンスなのです。

普段のコミュニケーションから他の人の真意まで汲み取るのは難しいです

例えば、友人からカラオケに誘われたとします。「自分はあまり乗り気じゃないけど誘いを断るのも悪いな」と思い承諾したとしても、友人目線は「誘いに応じてくれた」という事実しか残らず本当はあまり乗り気ではないという情報まで汲み取るのは困難です。

私たちの普段のコミュニケーションは、純粋な考えだけでなく割と色々な考えが混ざった結果成り立っているはずです。

例えば、会社の上司から「最近この時計買ったんだよー」と言われれば「そうなんですね。とてもお似合いです」などの同意する以外の選択肢ってほぼないです。

普段のコミュニケーションって、結構それぞれの立場などから本心とは別のことを言っている可能性もあります。

読書を続けると色々な考えに寛容的になります

個人的に、読書を続けていると「世の中には色々な人がいる」と達観できるようになると思っています。

例えば、仕事で理不尽に怒られることなどがありますが、世の中に色々な考えがあるということを知っていると、理不尽なことに出くわしても「そういう人もいるから仕方ない」とか「次回からこの人と関わる時は少し気をつけよう」などと考えられるようになります。

個人的に寛容性はとても大事だと思っていまして、人は理解できないことに対して恐れたり憤りを感じたりするので、寛容性を鍛えておくと自分の理解できないことに対して一旦受け止めることができるはずです。

理解できない考えを受け止めずにそのまま弾き返すのは簡単ですが、多様性が重視される現代ではそのまま弾き返すのは賢い選択ではありません。

色々知っている人は色々なことに理解を示しやすいです

色々なことを知っているということは、色々なことを理解しているということです。

人は理解を示してくれない相手に対してはあまり興味を持ちません。

例えば、ゲームが好きな人が「ゲームなんて子どものすることだから大人になってまでゲームをしている人は理解できない」という考えの相手と分かり合うことは多分無理です。

一口にゲームといっても色々あります。

テレビゲームやパソコンゲームなどもありますが、最近はスマートフォンなどで遊べるゲームやソーシャルゲームなどもありますし、ボードゲームなど様々です。

例えば、ゲーム否定派の人でも仕事の休憩中にスマートフォンのアプリのゲームはよくやるみたいな人もいるはずです。

上記のようにそもそも自分が普段やっているアプリがゲームだという自覚がないこともあります。自覚がないというのは、つまり知らないということです。

人は知らないことや分からないことに対しても、とりあえず拒否反応を示すことが多いと思っています。

上記は一種の防衛反応だと思っているので仕方ないと思うのですが、色々なことを知ろうとするもしくは理解しようとする努力は必要なはずです。

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