どうも、アラサーブロガーのきゃわです。
人間関係において、誰かに謝る場面は結構ありますよね。
例えば、何か迷惑を掛けた時とか相手に何かしてもらう時などにクッション言葉として使う時もあります。
ですが、時には自分が悪くなくても謝らないといけない場面もあります。
これから、上記について詳しく解説していきますね。
悪くなくても謝る必要があるなら謝った方が無難です
ぶっちゃけ、たとえ自分が悪くなかったとしても謝ることで問題がどうにかなるのであれば謝った方が丸く収まる可能性が高いです。
私も経験がありますが、とある仕事をしていた時のお客さん対応で明らかにお客さんが無理を言っていましたが、私が謝ることで丸く収まった件がありました。
要は、人間関係やその後の対応も含めて謝るだけでその場が収まるのであれば謝ってやれば良いのです。
誰が悪いかを決めるのではなく事態を収拾することに全力を注ぐべきです
誰が悪いとか何が原因だとかは、ひとまずどうでも良いことが多いです。
重要なのは、今トラブルが起きていてそのトラブルをどうやって収拾するかのはずです。トラブル収拾のために、謝罪という手段を使うという感じです。
関係者であれば誰が悪いかは分かっているはずです
例えば、接客業で正しい案内をしたのにお客さんの勘違いで間違った案内をされたと言われたとします。
上記のような場合、近くにいて会話を聞いていた他の従業員やお客さんはどちらが正しいのかは分かっているはずなんですよね。
個人的には、自分が悪くないということを誰かが分かってくれるのであればそれで良いのではないかと思います。
悪くなくても謝れない人は「謝罪」=「過ちを認める」という考えが強いです
それでも、「悪くないのだから謝る必要はない」という人もいますよね。
上記に関しては確かにそうなのですが、別に謝るといっても色々な考え方があるんですよね。
これから詳しく説明していきますね。
謝罪にも色々な考え方があります
「謝罪」=「過ちを認める」という考え方が強い人は、悪いことをしていないのだから謝る必要はないという意識が強いはずです。
ですが、謝罪にも色々ありまして、相手を気遣っての謝罪や穏便に事態を収拾させるための謝罪など様々です。
個人的に、謝ったからといって自分が悪かったということを認めるにはならないと思うんですよね。だって、一言「すいません」と言ったとしてもそれが何に対しての「すいません」なのかは言った本人にしか分からないからです。
もしかすると相手には、非を認めたと思われるかもですが、自分のスタンスとして穏便に事態を収拾させるためにとりあえず謝罪したとか自分は悪くないけれども相手の気に障ったようだからそのことに対して謝罪しようなどです。
自分が悪くないのであれば、それを認める必要はありません。
ですが、自分が悪くないからといっていつまでも強情な姿勢をとるのはあまり良い方法とは言えないはずです。