どうも、アラサーブロガーのきゃわです。
幼少期の私は、自分の意見があまりない子どもでした。
例えば、親に「今日食べたいものある?」と聞かれても「なんでもいい」と答えるタイプでした。
日常の些細なことであれば問題ないかもですが、これが人生の重要な選択とかだと自分の意見がないのは少しまずいはずです。
現在の私は、過去と違って逆に自分の意見や考えに逆らわずに行動していまして、これから、自分の意見が思いつかない時の対処法や自分の意見を持つ方法について解説していきますね。
自分の意見が完璧である必要はありません
勘違いしがちなのが、「誰が見ても非の打ち所がなく完璧な意見でないといけない」と考えてしまうことです。
自分の意見なんてのは、結局のところ主観なので多少偏った考え方や自分のやりたい願望などが含まれていても問題ありません。
間違った考えを持っていたとしても問題ない話
例えば、飲食店の接客業において「私は、お客さんとフレンドリーに関わりたいのでたまに敬語を抜くようにしている」という考え方の人がいるとします。
上記のような考え方を否定する人はいると思いますが、その人の意見が間違っているかどうかを決めるのは、結局その人自身なんですよね。
ぶっちゃけ、その人自身がたまにタメ口で話すことを接客方法として間違いだと思わなければその人の中では間違いではないのです。
仮に、100人中100人が「あなたの考え方は間違っている」と言ったとしても、その人が正しいと思うのであれば、一旦自分の意見は正しいと認めて良いと思うのです。
もしかすると、後々になって「やっぱり自分が間違っていたな」と思い返す時がくるかもですが、その時の自分が正しいと思うのであればその意見を正しい意見として採用しても良いはずです。
要は、今自分が持っている意見が正しいかどうかは現時点では分からないから、一旦その意見を正しいものとして行動していき、もし間違っていると感じたらその都度修正していくという感じです。
自分の意見が反論されることを恐れる必要はありません
自分の意見を持てない理由として、反論されるのが怖いという人もいるはずです。
ぶっちゃけ、過去の私は、一応自分の意見は持っているけど「お前の意見は浅い」とか「全然違う」などと言われるのが怖くて、あまり自分の意見を発言しないことが多かったです。
先程も言いましたが、現時点の自分の意見が間違っているかどうかはあまり関係ないのです。
重要なのは、現時点の自分の意見を基に行動することでして、自分の意見が正しいかどうかを現時点で明らかにすることではないからです。
上記のように、自分の意見が正しいかどうかだけを考えていると、なかなか行動できなくなります。
「論破される」=「間違い」ではないです
時には、自分の意見が誰かに反論されて論破されてしまうこともあるかもしれません。
ですが、個人的に論破されたとしてもその意見が間違いだとは思わないのです。
その人がその意見に至るまでの過程や考え方に少しノイズが混じっていただけで、修正して新たな意見として正しい考え方を身につけることができれば、結果的には問題ないからです。