どうも、きゃわ@icosoyamaです。私は現在アラサーなのですが、社会に溶け込めず正直もう自分の人生を諦めています。
ただ、諦めるといってもどうせこのまま社会に溶け込めないのであれば、自分勝手に好きに生きようと思ったんですよね。
ぶっちゃけ今回は完全に自分語りです。みなさんにとって有益な情報を当られるかどうか分かりませんが、「こういう奴もいるんだな」くらいに思ってもらえれば幸いです。
人生を諦めた瞬間の話
私が人生を諦めた瞬間はいくつかあります。
例えば、自分は会社で働くのが無理だと感じた時や、合コンに行って全く女性と話せなかった時や、自分がコミュ障だということに気付いてしまった時などです。
上記の内、どれが原因で人生を諦めたという訳ではないのですが、色々なものが積み重なってある日突然、「もう、いいや。なんか疲れたし」と思ってしまったんですよね。
もしかすると、過去に書いた「新卒で適応障害になり退職して転職できた話【無理をしない】」を読むとなんとなく人生を諦めた瞬間が分かって頂けるかもしれません。
人生を諦めた瞬間どうでも良くなりました
例えば、学生時代にやっていた部活を辞めた時とか、勉強するのを諦めた時とかって、諦めたものに対してどうでも良くなりませんかね。
私の場合、人生を諦めた瞬間に生きるということがどうでも良くなったんですよね。それまでは、なんとなく自分の中にプライドがあったのですが、「プライドなんてあっても仕方がないな」と思って、ひたすら自分が楽できる環境に身を置くことにしたのです。
おそらく普通に生きていると、「怠けている環境では自分が成長しない」なんて思うかもですが、諦めて悟りを開くくらいになると、「どうせ人生に意味なんてないんだからどうでも良くね」と思ってしまうんですよね。
おそらく人生に意味はないです
完全に個人的な考えですが、人生に意味はないと思っています。
世の中にはもしかすると人生に意味を見出せる人もいるのかもですが、おそらくほとんどの人にとって人生って無意味なはずです。なぜかというと、私達は目的を持って生まれてきた訳ではないからです。おそらくみなさんの両親は、みなさんのことを何か目的があって産んだわけではないと思うのです。
個人的には人生に意味がある人の方が少し、しんどいのではないかと思います。
例えば、どこかの会社の社長が自分の会社を継がせるために子供を産んだとします。そうすると、その子供は次期会社の社長になるという目的を持って産まれてくる訳です。
上記ってめちゃくちゃかわいそうじゃないですかね。産まれる前から人生を決められている訳です。
無意味な人生を意味のあるものにするのはとても疲れるという話
ほとんどの人は何の意味もなく産まれてくると思うのですが、そんな無意味な人生を意味のあるものにするのっておそらくめちゃくちゃしんどいです。
だって、どういう人生を歩めば正解なのかも分からないような世の中で、自分だけの生きる意味を見出すのってスケールが大きすぎてよく分からないと思うのです。
無意味なものは無意味で良いです
意味のないものは意味がなくて良いと思うのです。
生きる意味が見出せないのなら、見出せなくて良いのです。そんなものを見出している暇があったら、自分がやりたいことや幸福だと思える時間を過ごした方が何倍もマシです。
自分を特別な人間だと思いたい欲求は誰にでもあると思いますが、特別な人間は多分最初から特別です。例えば金持ちの家に生まれたとか、幼少期から異常にある分野での能力が高いとかです。
ほとんどの人に上記のような、特別な才能はありません。個人的にはそんな才能はなくても良いと思っています。
別に、無いものは無いで良いのです。何もなければ無いなりに生きていけば良いのです。
【悲報】人生は諦めた後も続きます
これは悲報ですが、人生って諦めたとしても続きます。
「人生諦めた=終わり」ではないんですよね。面倒なことに、人生を諦めたとしても人生を続けなければいけないのです。
人生は諦めた途端に自分に好きなように生きれる話
ただ、個人的に人生を諦めることで見えてくるものがあると思っています。
それは自分がやりたいことや、過去の自分がやりたかったことです。皮肉かもですが、人生を諦めると自由な時間が増えるので、自分のやりたかったことに挑戦できるんですよね。
例えば過去に音楽で挫折した人とかも、昔に戻ったかのように曲作りとか没頭できるのです。
人生を諦めたのですから、自分の好きなことをとことんやれば良いはずです。そして、個人的に好きなことに熱中することが、かなり良いスパイラルになると思います。
私は2年前くらいにこのブログを始めてコツコツ継続しているのですが、2年も続けているとアクセス数もそこそこあるので、広告収益などで割とお金を稼げるようになります。
確かに私は楽がしたいと思ってブログを始めましたが、おそらく記事を書くことが好きでなければここまで続けられなかったと思うのです。
もしかしたらですが、好きでコツコツ継続していたもので生活できるかもしれないのです。
わざわざつらい道で生きる必要はないです
過去の自分に言いたいことは完全に上記の言葉でして、自分がつらいと思うフィールドで戦う必要はないということです。
例えば、話すのが苦手なのに頑張って営業の仕事をしてもただ自分がつらいだけです。
別に人の目なんて気にする必要ないんですよ。自分にできる仕事がどんなに簡単な仕事でも良いのです。
どうせ人生なんて無意味なのですから、楽して生きてやれば良いのです。
下記の記事も宜しければ読んでみて下さい。
「楽することばかり考えるのは悪いことじゃないだろ。楽するための行動をしよう」