黄色の花

存在価値がないと感じていた俺が生きていこうと思った理由

黄色の花

どうも、引きこもりアラサーブロガーのきゃわです。

まず、今までの私の人生を軽く説明しておくと、学生時代から他人と上手くコミュニケーションが取れなくて悩んだり、社会人になってからは全く仕事が長続きせず色々な仕事をしたりしていました。

もちろん、上記のような状態になった責任が私にあると言われればその通りかもですが、これだけ上手くいかないことが多いと社会から自分の存在価値を否定されたような気分になってしまうのです。

現在は、完全に社会から離脱してブログを書き続けているのですが、ブログも更新したりしなかったりとかなり中途半端な感じです。

20代の頃は「もっと上手くやらなきゃ」とか「なんとか頑張って今の状況を改善しよう」などと思っていた時期もあったのですが、色々なことを経験した結果、今では「別に生きているだけで良くねぇか」と思うようになりました。

これから、存在価値がないと感じていた私が生きても良いと思った理由を解説していきますね。そして、同じような悩みを持っている人たちの生きるヒントになってくれればありがたいです。

「他人から求められる」=「自分の存在価値」ではないです

黄色の花と手紙

例えば、仕事を振られた時にその仕事が上手くできなかったとします。

上記のような時に、ほとんどの人は「今回の仕事は全然上手くいかなかったな」とか「同僚や上司に色々迷惑かけちゃったな」などと考えるはずです。

自分の中で反省して切り替えられる人であれば良いのですが、「他人から求められたことに対してはちゃんと答えなきゃいけない」みたいな変に真面目な人とかだと、考えすぎて自分の存在価値を疑ってしまうんですよね。

他人が求めているのはその人にとって必要なものです

誰かが求めているものと自分が求めているものが合致するとは限りません。

例えば、あなたの上司があなたにこういう仕事をやって欲しいと思っていても、あなた自身はもっと別の仕事を重要視している場合もありますよね。

上記のような場合は、上司とあなた自身で求めているものが異なります。
求めているものが異なるということは、上司とあなた自身の間で価値に差が生まれてしまうのです。

例えば、上司はAという仕事が一番価値がある思ってもあなた自身はBという仕事の方が一番価値があると思っているという感じです。

存在価値は自分にとって価値のあるものでなくてはいけません

個人的に、そもそも存在価値とはその人がその場に存在するための価値をその人自身が決めるものだと思っています。

なので、どれだけ仕事でミスをしても「私はこの仕事で生きていくって決めたんだからここにいていいんだ」とその人自身が思っていれば、その場にいて良いのです。

誰かに何か言われたから自分の存在価値が揺らぐのではなく、存在価値は自分自身で決めるべきです。

存在価値なんてのは自分で決めてしまえば良いです

周りの目など気にせず自分勝手に考えてしまえば良いのです。

どれだけ自分の能力が低かろうと、どれだけ自分が周りに迷惑を掛けていようとも関係ありません。

大切なのは、そこにいても良い理由を自分で決めることです。

他人の価値観に合わせる必要はないです

中には、「仕事のできない奴はいてもいなくても変わらない」などという人がいますが、それはその人の価値観でありあなたの価値観ではないはずです。

仕事ができないからといって、いなくても良い理由にはならないのです。

他人の価値観で自分の存在価値を決めるのはやめましょう。自分で考えてそこにいても良い理由があるのであれば、それが存在価値なのです。

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